第10回となる文学散歩は、お天気に恵まれた11月14日、「旧古河庭園〜六義園〜東洋文庫」散策に出かけました。
まずは旧古河庭園へ。
1917年(大正6年)に古河財閥3代目当主の虎之助によって造られた西洋館と庭園は、鹿鳴館の設計で有名なジョサイア・コンドルの作品です。
戦後国有財産になった後、東京都に譲り受けられましたが、半ば放置状態で荒れ果て、屋根に穴が開いているような状態だったとか。
1982年(昭和57年)から1989年(平成元年)まで7年をかけた修復工事により現在の状態まで復元されたそうです。
1階はすべて洋間で食堂やビリヤード室など接客のための空間。
居住空間の2階は洋館にしては珍しい和室となっていますが、ドアの内側に板の間があってその向こうが畳の部屋になっているなど、洋館として違和感がないようにコンドルの工夫を見ることができました。
バラ園で有名な庭園ですが、バラの季節もそろそろ終わり。
それでもまだ咲いている美しいバラが多くの人を楽しませていました。
敷地は武蔵野台地の斜面を巧みに利用した造りとなっており、台地上に洋館を、斜面上に洋風庭園、台地下の低地部に日本庭園が配置されています。
日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛(植治)により作庭されたもの。
ハゼとドウダンツツジの紅葉がきれいでした。
20分ほど歩いて、「小松庵総本家」にて昼食。
おいしい手打ちそばをいただきました。
昼食後、隣接する六義園へ。
六義園は、徳川五代将軍 徳川綱吉の側用人 柳沢吉保が、自らの下屋敷として1695年(元禄8年)から7年をかけて造営した大名庭園です。
和歌に造詣が深かった柳沢が、『古今和歌集』にある和歌を詠うままに庭園として再現しようとしたもので、庭内は和歌にちなんで和歌の浦の地名がつけられています。
庭園の完成後は将軍綱吉のお成りが記録されているものだけでも実に58回もあるそうで、いかに綱吉が吉保とこの庭を気に入っていたかがうかがえました。
明治の初年に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入し、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施されました。
その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、1938年(昭和13年)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになりました。
2万7千坪もある庭の奥は、とても山手線の内側にあると思えない深い山の中のよう。
冬に備えて雪釣り作業中でした。
ここでもやはりハゼの紅葉が見事でした。
次に伺ったのは六義園から歩いて数分の東洋文庫。
三菱財閥の第3代総帥岩崎久弥が、自身が購入したモリソン文庫(中国に関する欧文文献の膨大なコレクション)と、その後買い増した貴重書を一括寄付して1924年に設立した東洋学の研究図書館で、今月で設立90周年を迎えます。
文庫設立後も蔵書の充実のため、岩崎久弥は貴重書の購入を全面的に支援したそうです。
フラッシュなしなら撮影OKということで、館内の様子を撮らせていただくことができました。
5点の国宝、7点の重要文化財を含め、素晴らしい所蔵品の数々に目を見張りました。
まるでパワースポットのようなド迫力のモリソン文庫。
この中の1冊は1485年のマルコ・ポーロの東方見聞録の印刷本としては世界で3番目に古いものだそうです。
文庫の方の説明を聞きながら館内を見学しましたが、なによりこの世界に誇れる文庫を、心から愛しているという情熱がビンビン伝わってきました。
近くにありながら、個人ではなかなか訪問できないところに案内していただけるこの文学散歩。
参加者25名、いつにも増して文学の度合いの濃い内容で「文学散歩」にふさわしい充実した一日となりました。